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孫子の盲点 その3 ~ ”時”の概念がない

【孫子には「時」の概念がないから、120歳まで生きる人向け】

面白いなぁ。「孫子の盲点」。

”孫子”自体が一部の人しか興味がないのに、その「盲点」なんでさらに興味が無い人はないでしょうねw

でも絶対ビジネスの勉強になるんだけどなぁ。
俯瞰で見れるようになります。

元マイクロソフト日本支社長の成毛さんも
「社会人として必ず入れておくべきなのは”科学、歴史、経済”。本棚はあなたの知を増やす最高の道具。」と言ってるし。

科学、歴史、経済は、社会人として絶対に読むべきです。

さてその「歴史」である「孫子の盲点」。

12月に読み始め、すでに2回アウトプットしていましたが、今回はその最後。

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書名:孫子の盲点
著者:海上知明
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とにかく信玄は「慎重」すぎた。
人間には寿命があるが、「負けない」ことを重視した孫子では天下を統一はそもそも無理

たとえば、信長の桶狭間の戦いで今川家が敗走したが、そのタイミングで攻め入れば容易に駿河・遠江、三河、尾張の一部を併合できたはず。
しかし孫子の慎重さがアダとなり、チャンスを逃す。

その後も勢力拡大のチャンスが何度かあるが、ことごとく「孫子的慎重さ」で、逃していく。

ビジネスと一緒ですね。

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人は、自分の発想外のことはなかなかわからない。
天才、武田信玄でさえも。

自分と同じような”実利主義者”だと考えていた北条氏康。
しかし予想外の対応となり焦る。

北条氏康が、今川氏に肩入れし、上杉謙信と同盟を組んだ。
これにより、武田家は包囲された状態に。

ここであの有名な「敵に塩を送る」の逸話が生まれた。

北条氏康は兵糧攻めをする。塩と米の輸出を止めたのだ。

北条氏康は上杉謙信にも「一緒に封鎖しよう」と持ちかけるが「戦というのは塩米でするのではなく、弓矢でするものだ」と一蹴。塩を送る。

この話はフィクションだという説があるが、実話だろう。

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天下取りの意味が、実は武将ごとにまちまち。

上洛することを天下取りと考えている人もいたり「信長の野望」みたく、全国を勢力圏にいれるだったり、いろいろ。

その上洛の意味も「幕府と朝廷の掌握」であったり「謁見すること」であったり。

なので、それぞれがいったい、何を目的で動いていたかはなかなか難しい問題。

信玄はどうやら「上洛して号令をかける」。つまり幕府を朝廷を掌握して、自分で操ろうというもの。しかしそれも予想。

信長は、ゲームのとおり、全国を平定しようとしていたらしい。
その考え方は当時としては革命的な発想だった。

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【信玄VS信長】

信玄と信長を比べた場合、生産力に圧倒的な差が。
領地の大きさは変わらないが、信長の生産力は信玄の2倍。

つまり兵力の動員数もその分大きくなる。

しかも遠征は孫子で最も嫌われることなので、どうやって信長を倒そうか・・・となる。
信玄の強みもあり、それは兵の強さ。信長の兵5人に対して、信玄の兵1という、つまり5倍の強さという評があった。

鉄砲は、信長の兵がどうしようもなく弱いから装備させた。鍛えてもムダ!と。

しかし信玄は孫子的な慎重さでいうと、やはり数で大きく勝っていないと絶対に戦わない。

そこで得意な外交で、信長包囲網を築いていく。

信長は点々として、まさにゲームのように「空白があったら取っていく」感じで、かなり兵力が分散していた。

なので包囲網が有効で、信長は追い詰められる。

北条氏とは同盟をして背後を固め、一向一揆に呼び掛けて上杉謙信を足止め。さらに雪で身動きがとれない時期を狙って信長領に攻め入る。

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優れた戦略家は、複数の目標を設定する。
1つが無理になったら次の目標へ移行。

1つにとらわれない。ビジネスも一緒。

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家康がかわいそすぎるw

信玄が家康に迫る。家康は降伏したかったが、信長がわずか3000人を援軍でよこす。
これは「監視」のため。「降伏するなよ!」と。

しょうがないので、圧倒的に弱いが信玄を攻撃するはめに(T_T)

そしてなんと弓矢ではなく石を投げられ^^;焦って突撃開始。

無茶苦茶にやられて、共もなく単身逃げるはめに・・・。

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最終的に天下を取った家康は、信玄型をとった。

桶狭間の戦いは、たまたま勝っただけで実際には愚策であり、また本能寺の変などの反乱など信玄や謙信では起こらない。

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信長が進めた兵農分離は、軍事的にはマイナス。
しかし「忠誠心が低いので、土地と切り離すことで支配する」「城下に住まわせて経済を発展させる」などの効果がある。
それを発明した信長は「軍略家」ではなく「政治家」「革命家」であった。

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信玄が21歳で家督を継いだときには周りから歓迎され、翌年には諏訪氏を征服するなどし、どんどんと勢力を拡大。

信長は17歳で家督を継いだが離反に次ぐ離反で領土を減らしていく。その後も桶狭間の戦いでなんとか尾張を統一。その後に美濃を攻略するがその時点で11年もかかっている。

同じ26歳のときには、圧倒的に信玄であったが、その後に逆転。

信長は軍事的には平凡だが、革命的であった。

能力は信玄の方が圧倒的だったが、慎重過ぎた。毎年着実に拡大したが、飛躍的に拡大することはなかった。

信長はスピード、信玄は慎重。

信長はハイリスク・ハイリターン。信玄はロウリスク・ハイリターン。

信玄の孫子に対して、信長はマキャベリの君主論的。(信長はマキャベリは参考にしていないが)。

孫子は「負けないこと」を、マキャベリは「素早さ」重視。

中国思想には「時」の概念が欠如していることが多く、人の短い人生のうちに天下を統一するのには不向き。

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信玄は孫子にとらわれすぎた。何度か孫子に反する戦いをしたが、すべて負けていたこともあり、より孫子にとらわれるようになる。

しかし肝心の「寿命」が人間にはあるので、ここぞというときには、慎重さだけではなくチャレンジも必要。

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信玄があと1年生きていたら、確実に信長を破った。
しかしその後に天下を統一をできたかというと、できなかっただろう。

それは弱いからではなく、孫子の限界だった。

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最後に著者の「自分も孫子を研究しているので、信玄のように”気がつくと膨大な時間を費やしてきた”」が印象的だった。

嫉妬深い人に対して「誠意をもって接すればいつかわかってくれる」だったが、その誠意が水泡に化すことがしばしば。

私もそれ、大いに感じています^^;

近年は「相手の幸せは自分の幸せ」的なことがビジネスの世界でも言われますが・・・限界がありますよね。

バランスが必要です。

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