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石田の独立までのストーリー8

『まいったな・・・』

携帯の時計を見る。AM 4:46
自宅から締め出されて、30分が過ぎていたことを知る。

5年前の痴漢騒ぎ。それさえなければ、こんな目に遭わなかったのに・・・。

北海道の12月、早朝。
凍死してもおかしくない環境である。

昨日が少しだけ暖かかったため、雪が少しばかり溶けていたのが唯一の救いだった。

『まいったな・・・』。
周りには人などいない。私は実際に声を出してつぶやいた。

もう5回はつぶやいただろうか。
そのたびに白い息が目の前に現れ、すぐに消えていく。

「4時起きですべてうまくいく!」的な書籍の影響を受け、本当に4時に起きるのが習慣だった。とはいえ毎日というわけにはいかず、ペースでいうと週に3回程度だろうか。

4時に目覚ましをかけ、コーヒーを飲み、「過去問題解説」の原稿を作成する。これがここ2週間の一般的な流れである。

「SEの心構え」音声セミナーは、そのクオリティが心配になり販売を一時中止していた。しかし難易度の高い資格試験に合格していた私は、それらの試験の過去問題解説CDを自作して売ることにしたのだ。

早朝は確かに「神の時間」と言われるだけあり、作業効率はすさまじい。
理由はわからないが「何か特別なことをしている」という意識が、集中力を生むのかもしれない。

しかしこの日ばかりはその習慣が裏目に出たようだ。

自宅マンションの玄関はオートロックだった。
鍵を解除する方法は2つある。
鍵で開ける方法と、暗証番号4桁で入力する方法だ。

しかし暗証番号で開ける方法は5年前に無効になっており、今は鍵で開ける方法しかない。
もし鍵を忘れて外に出てしまったら・・・オートロックのデメリットであるのだが、まさにそれがいまの状況であった。

セブンイレブンで暖かい缶コーヒーを買おうと思っただけなのに・・・。

5年前。自宅マンションで痴漢騒ぎがあった。

まだ結婚前の妻が自宅のエレベータに乗ると、30代後半の少し太めの男性も後を追うように乗ってきた。

妻はとっさに危険を感じた。なぜならそのさまがいかにも「追うように」だったからだ。

マンションには20世帯が入っていた。家族を合わせてもその3倍程度だろう。住人の顔はだいたい一致する。とはいえ全員とはいえない。もしかしたらこの男性も、マンションの住人なのかもしれない。

楽観的に考えるとそう思えなくはない。しかし家族向けのマンションにはそぐわない、いかにも「アキバ系」の風貌は、その楽観視を拒否していた。

エレベータが締まり、そこは密室になった。

密室は徐々に上に上がっていく。

3階を過ぎたあたりで、異変に気がついた。
男性の手が不自然な位置にある。

エレベータに乗るときの「作法」などは存在しない。とはいえ一般的には足を軽く開き、両腕は重力にまかせてそのまま下に垂らすであろう。
アキバ系男性も似たような体勢なのだが少しだけ違っていた。
下に垂らした左手には、ある物体が握られていた。自分自信のいわゆる「局部」だ。

驚きのあまり、頭の血液が「ドーン」という音とともに一瞬に背中に落ちるような感覚だった。しかしなぜか同様の「露出することで興奮する中年男性」によく出くわす妻は、その対処法を心得ていた。

無視。これしかない。

変に反応しようものなら、相手の思うつぼである。

とっさの機転で自宅とは違う7階を押したことを少しばかり後悔したが、後のことを考えるとその選択は間違っていなかったとも思う。

結局はそれ以上は何事もなかったが、それからというもの自宅マンションではセキュリティが厳しくなり、暗証番号での解錠は無効になったのだ。

そんなことを思い出しながら、5時に近くなっていた。

先程から妻の携帯に何度も電話をしているが、呼び出し音が10回鳴り留守電に切り替わる。インターホンも同じくらいの回数だけ押しているが、反応はない。

誰か住人が出てきてくれればそのタイミングで入ることができるが、朝の5時ではそれもあまり期待できない。

「どうしたものか」

玄関ドアはガラス製だ。中は見える。中から外に出きる時には当然鍵など不要だ。頭上にある赤外線センセーが反応してドアが開く。そのセンサーさえ反応させることができたのなら・・・。

センサーは中にある。そのセンサーに手をかざすなるできれば中に入れる。しかしドアの外では、いくらそのような仕組みを考えたところで無駄だった。

その時だった。ある方法を思いついたのだ。

中には入れない。手を入れる隙間もない。しかし紙を入れるくらいの隙間はある!
隙間から紙を入れ、センサーを反応させることができたとしたら、ドアが開く。そんなシナリオは成立しないだろうか?

傍からみれば犯罪に手を染めているように見えるだろう。しかし他に選択肢はなかった。

幸いにも私が絶望にうちひしがれているのは集合ポストの前だ。自分のポストを開ければ、チラシなりなんなりあるはずである。
私は勢いよくポストを開けた!・・・が、中は空っぽだった。

こんな日に限って何もない。いつもはうざったいぐらいのチラシが、正方形の空間を埋めているのに・・・。

他人のポストを開けるか。いや、それはまずい。

私は歩いて10分ほどのセブンイレブンに向かった。
幸い天気は悪くはなかった。とはいえ5時。まだ薄暗く、寒さが首筋に刺さる。

セブンイレブンのドアを開けた瞬間、周囲の気温が一気にあがり、全身の筋肉が緩む。
大きな呼吸を1つして、周囲を見渡した。

幸い、年賀状印刷の受付用紙があった。それを、さも「そろそろ年賀状印刷しないとね」的なしぐさをしながら、念のため3枚手にした。

5分ほど立ち読みをしてから外に出た。さっきよりも明るくなっていた気がしたが、おそらく勘違いだろう。先が見えた安堵感から来るものなのかもしれない。

自宅が見えてきた。うまくいくのか。きっとうまくいくはずだ。
自己啓発書にも「それがすでに成ったかのように思うことができれば、それは成る」と書かれていたではないか。私は想像した。すでに玄関が開き、エレベータに乗り、自宅のある5階のボタンを押したところを。

これで準備は完了した。強敵だったオートロックの集合玄関も、いまは小さく見える。懐疑的だった自己啓発書の標語も、案外悪くない。

あとは手にしている年賀状印刷申込書を、あの隙間に差し込み、内側にある赤外線センサーに反応させるだけだ。
そうすれば少し早いお正月が来たかのごとく「開きましておめでとうございます!」と、誰かが言ってくれるはずだ。

そんな自己対話しているさなか、突然ドアが開いた。

手にはまだ3枚の申し込み用紙を持っている。つまりまだ例の作戦は敢行していないということだ。

なのになぜ?

「おはようございます」。たまに見る顔がそこにはあった。3階の住人だ。
老人の朝は早い。5:30。彼の1日が始まり、いつものように内側からドアを開けたのだ。

「あ、おはようございます」。そう返事をするのが精一杯だった。

その3分後、手にしていた3枚の紙は、即座に自宅の燃えるゴミの袋に投じられた。

目的は達成していた。しかしなぜか安堵感はなかった。絶望感もない。

締め出されてから1時間後に、住人が中から開けてくれた。それ以上でもそれ以下でもない。

それをあらかじめ知っていたからといって、1時間セブンイレブンで立ち読みをして時間を潰すのが最良なのかもわからない。だから「後悔」などそもそも成立しないのだ。
にもかかわらず、なんだろう、この「無」の感じは。

『過ぎたことをあれこれ考えてもしょうがない』。私はそう何度も反復した。
自己啓発書には書かれていたとおりに。

懐疑的だった自己啓発書の標語も、案外悪くない・・・かな。

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